2014年 05月 18日
驚くほど多かった戦国時代の出城 |
展示資料によれば、勝竜寺城周辺には天王山の山崎城をはじめ、京都と丹波を結ぶ沓掛峠に設けられていた沓掛城など、実際に確認されたものや、様々の記録に残されものや、そこから推定されるものを含めれば、桂から大山崎エリアだけで実に34、5もの城としての拠点があったとされています。
これらのほとんどは小規模なもので、今で言う交番や監視所的な性格を持ったもので、以前に「お山の会」で探訪した「山科城」や「大文字山城」、「嵐山城」等もそんな出城のひとつだったのでしょうが、いずれにせよ、あの時代が支配階級にとっては下克上の食うか食われるかの厳しい時代であったからこその成せる業なのでしょう。
それにしてもその数の多さには驚きました・・・。
by rondoharmonia
| 2014-05-18 00:00
| 哲の雑記帖(トピックス)