2010年 07月 05日
観的哨(1999年9月・神島) |
私はライフワークとして、日本各地に今もなお残存している「戦争遺構(主に太平洋戦争にかかわる戦争遺構)」をテーマに撮り歩く作業を続けていますが、2007年に開催した「戦争の残像」展に続き、来年8月上旬にはその第2弾として「昭和の残像」展を開催を予定しています。
前回の「戦争の残像」展開催のきっかけとなったのは、和歌山県友が島要塞を観に行ったことから始まったのですが、思い起こせば戦後、広島の原爆ドームは別として、私にとっての直接的な「戦争遺構」との出会いは三河湾口に浮かぶ神島(三島由紀夫の「潮騒」の舞台となったことで知られています)で渥美半島の射撃試験場からの砲弾着弾を観測する「観的哨」遺構でした。
1999年9月上旬のまだ残暑厳しいなかを、友人である精華大学染色デザイン科教授のT氏と同科の大学院生や学生諸君によるスケッチ旅行にビデオ記録担当として同行したことからこの遺構との出会いとなったわけです。
もちろんその時は現在のように「自分のテーマとして・・・」という目線でこの遺構を見ていたわけでもなかったので、ビデオ撮りはしましたが、私もスケッチの真似ごとをしただけスチール写真の方は熱が入っていませんでした。
なので、写真はなく、下手なスケッチなので何ですが、そもそもの出会いは・・・というならこの「観的哨」かな?ということになるのでブログアップしてみました。
前回の「戦争の残像」展開催のきっかけとなったのは、和歌山県友が島要塞を観に行ったことから始まったのですが、思い起こせば戦後、広島の原爆ドームは別として、私にとっての直接的な「戦争遺構」との出会いは三河湾口に浮かぶ神島(三島由紀夫の「潮騒」の舞台となったことで知られています)で渥美半島の射撃試験場からの砲弾着弾を観測する「観的哨」遺構でした。
1999年9月上旬のまだ残暑厳しいなかを、友人である精華大学染色デザイン科教授のT氏と同科の大学院生や学生諸君によるスケッチ旅行にビデオ記録担当として同行したことからこの遺構との出会いとなったわけです。
もちろんその時は現在のように「自分のテーマとして・・・」という目線でこの遺構を見ていたわけでもなかったので、ビデオ撮りはしましたが、私もスケッチの真似ごとをしただけスチール写真の方は熱が入っていませんでした。
なので、写真はなく、下手なスケッチなので何ですが、そもそもの出会いは・・・というならこの「観的哨」かな?ということになるのでブログアップしてみました。
by rondoharmonia
| 2010-07-05 00:00
| 戦争遺構を巡る