2010年 10月 12日
戦時中、戦意高揚に一役かったラジオ塔(京都市北区小松原公園) |
日中戦争最なかの1940年、神武天皇即位2600年を記念して全国各地で大々的な祝賀イベントが開催されましたが、その一環としてこの北区の小さな小松原公園にもラジオ塔が設置されました。
当時、ラジオは新聞に並ぶ強力な電波媒体だったので、ラジオ体操や野球中継だけでなく、国民の戦意高揚を図るための手段として様々な形で有効活用されていたことは確かです。ちなみに、このラジオ塔の正面のプレートには今はもう風雨に晒されて薄れてしまっていますが、「心身錬成」という4文字が読み取れます。
今ではすっかり忘れ去られてしまったラジオ塔ですが、この時期に全国各地に500カ所前後設置されたとされています。ただ、戦後のラジオの普及と共にラジオ塔はその役割を終えて消え去る運命を辿ったので現存しているものは極めて少ない中、京都市内には何と今なお7カ所(京都新聞調べ)も残っています。
もっとも、設置されたときそのままの姿で現存しているのは、この小松原公園のものを含めて6カ所です。(2010年10月10日撮影)
当時、ラジオは新聞に並ぶ強力な電波媒体だったので、ラジオ体操や野球中継だけでなく、国民の戦意高揚を図るための手段として様々な形で有効活用されていたことは確かです。ちなみに、このラジオ塔の正面のプレートには今はもう風雨に晒されて薄れてしまっていますが、「心身錬成」という4文字が読み取れます。
今ではすっかり忘れ去られてしまったラジオ塔ですが、この時期に全国各地に500カ所前後設置されたとされています。ただ、戦後のラジオの普及と共にラジオ塔はその役割を終えて消え去る運命を辿ったので現存しているものは極めて少ない中、京都市内には何と今なお7カ所(京都新聞調べ)も残っています。
もっとも、設置されたときそのままの姿で現存しているのは、この小松原公園のものを含めて6カ所です。(2010年10月10日撮影)
by rondoharmonia
| 2010-10-12 00:00
| 戦争遺構を巡る