2009年 03月 22日
(パソコンCG事始め・3) 個展・ギャラリー岡崎 1986年 |
1984年〜86年にかけては、まさに私にとってはパソコンによるCG(正確にはアナログデータをデジタイズした後、それを画像処理的に加工する程度で、真の意味でCGとは言い難いでしたが)で苦労した時期でした。グラフィックソフトも、ワークステーションレベルではフルカラー表示可能のものがありましたが、いずれも全てコマンド入力で動く状況でした。でも、プログラミング能力がないため、ワークステーションのオペレーションがコマンド入力前提ではどうしようもありませんでした。この頃私が使用していたパソコンはNECの無印98で、カラー環境はデジタル8色同時表示がやっとの世界。そんな状況下とレベルでの作品創りだったので、今思えばよくもまあこんな作品を、とお恥ずかしい次第です。
でも、パソコンでのグラフィックス表現がまだ難しかった時代にいち早くこれに取組み、苦労しながらも作品制作と発表活動を続けられたことは、後の仕事に大いにプラスしたと言えます。年齢的に見れば仕方ないとも思いましたが、テクノストレスが溜ったことは事実ですが、テクノアレルギーにはならず積極的にCGに関わることが出来たからです。そのころには、ですが・・・。
まだ、8インチのペラペラディスクによるシステムディスクとデータディスクの2枚のペアで仕事をしていた時代でしたから、ワープロも黎明期?で、あの「一太郎」が出たばかりでしたし、グラフィックソフトも「アートマスター98」というのを使用して作品?を創っていました。1986年2月の「ギャラリー岡崎」での個展ではこの環境下での一連の作品でしたが、技術的にはともかく、イメージ的には次につなげられる新しい表現を試み得たと自分のなかでは評価してはいます。
でも、パソコンでのグラフィックス表現がまだ難しかった時代にいち早くこれに取組み、苦労しながらも作品制作と発表活動を続けられたことは、後の仕事に大いにプラスしたと言えます。年齢的に見れば仕方ないとも思いましたが、テクノストレスが溜ったことは事実ですが、テクノアレルギーにはならず積極的にCGに関わることが出来たからです。そのころには、ですが・・・。
まだ、8インチのペラペラディスクによるシステムディスクとデータディスクの2枚のペアで仕事をしていた時代でしたから、ワープロも黎明期?で、あの「一太郎」が出たばかりでしたし、グラフィックソフトも「アートマスター98」というのを使用して作品?を創っていました。1986年2月の「ギャラリー岡崎」での個展ではこの環境下での一連の作品でしたが、技術的にはともかく、イメージ的には次につなげられる新しい表現を試み得たと自分のなかでは評価してはいます。
by rondoharmonia
| 2009-03-22 00:32
| グラフィック・アーカイブス